ariyoshitatsuhiro’s blog

有吉達宏 思考

見たくないもの

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何か人の考えをわかると思うとき、その時点での解に安住する後ろめたさが浮かぶ。

 

わかったのなら、わからなくなるまでその人の思想を辿るべきではないだろうか。

 

現状のわかるに安住することは、下手な料理をつくって、地面に落とすようなものではないだろうか。

 

蟻が喜ぶのは、人との間に絶対の剥離があるからだろうか。

 

作品を料理に例える人がいる。

でもそのおいしさは味と認識できるものに限られない。

見るというのは見たくないものまで見えてきてしまうもの。

 

目に映るもの全て、その本当の姿は見たくないものなのではないだろうか。

時間

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妻木先生の作品を見返した。

渚にて、で撮らせていただいた写真も。

作品画像はwebに載っているものから拝借。

 

ゆっくりとした時間が流れている。

ゆったりとは違うような。

 

アニメーションは時間芸術だけど、アニメーションでも絵でも、時間をえがけるということに気持ちが足りなかったかもと思った。

 

無と有、有機性

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無に有が生まれる。その有は無を内包している。有とは何か。有の感触は熱源に思える。それは音楽の幸福な感触にも似る。無とは立体的で空間的な間のように思える。モンスターは陰に潜む。偽りの場所。