UFO、血液
フラッシュがUFOに見える。
偶然撮れたもの。
作品のアイディアも飛来するものだが、そこに縁はあるのかもしれない。
コードを見ると何か感じるものがある。
僕の、もしくは誰かの血液が流れている可能性はないだろうか。
ものに潜在するものは身体性を帯びているのだろうか。
自分が散在している。
必然性
必然性は後からわかる。
世界は広い
世界は広い、考えうること、知れることはその一部でしかない。だが作品はその範疇に無いように思える。
世界は広いが一人の人、動物、植物、バクテリアも世界を内部に有しているように思える。
芸術がアガメラレルのはそれが人の等身、あるいはそれ以上だからだと思える。
芸術を崇める気持ちがあるなら隣人、触れる世界を崇め注視しなくてはならない。でなければ自己満足の陶酔に浸っているだけだ。
個展のアニメーション、既に出してもいい状態なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。ただマッチョに武装する気持ちは捨てたい。
それには、人を信じているかが分かれ道になってくる。
不安の中に生きるしかないのかもしれないけれど。
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解明しようとしてもわからんのです。
意思では開けない。
母親の写真を見ると胸をこじ開けられます。
強すぎて直視できない。
仕事に戻ります。
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父親を描こうとした。
途中絵としての人物像が表れる。
そこから少し父親に寄せた。
父親の一面は想起された。
途中表れた像を整形する意図はないけれど、父親をないがしろにするわけにもいかず。
仕事に戻ります。